2011年4月1日金曜日

私心的覚書/文化ホールと市民との関わり

文化とは、その地域で育まれた出来事や事実、さらには古来より根ざした伝統などの事柄等と捉えます。さらにホールとは様々な人たちが集い、語らい、意見を出し合う機能を持っている公共の場。その地域に住み、働き、学ぶ人たちがこの地域に誇りを持ち、より良くする為にどう向き合い、有益な関わりを持つ事が出来るのか。下記はそのような事を踏まえた考察です。前記を前提とすると、文化ホール(ここでは行政が運営してる場所全般とします)という施設は、個人の趣味でも、営利を目的とした商業施設でもありません。ここで言う文化ホールの意義目的はどこにあるのか。文化ホールの主語はあくまでも市民です。有益な関わりを持つにはまず、地域に対する己を知る事から始まり、隣人を思い、地域を知る事が必要でしょう。やがて他地域に目を向け、日本、そして世界にまで思いを馳せるまでになればあらためてその地域にある文化ホールの意義が出てくるはずです。その方法の一つとして芸術(演劇、映像、音楽、現代美術、等)があります。そこに問題提起があるからです。問題提起の高い芸術は対話が生まれます。違う意見や発見を寛容する事で自分が様々な人たちに活かされてる事に気付くのではないでしょうか。そうなると地域社会に目を向けざるを得ません。自分や他者、この社会とは何なのか、を学ぶ道具として芸術が存在します。なるべく先導や啓蒙ではなく、市民が自発的に考えるような仕組みが必要ではないでしょうか。事業として、演劇手法のワークショップや、映像作り、即興音楽体験、美術製作体験、シンポジウム等を行ない、そのレポートを広報誌等で読んで頂くようにする等も理解を得る一つでしょう。市民が示唆出来る仕組みを考えるのが文化ホールの役目であり、上記の理解ある芸術家やコーディネーターの役割も外せません。借り物の鑑賞は商業と変わらず趣味の活動推進は公共性に欠けます。スタッフは今ある地域の課題を探索し、さらに長期的に新しい目標の設定が必要です。運営も予算も同様。毎年スタッフが変わる、予算が減るかもしれない、場所が押さえられない、等では腰を落ち着かせて市民と関わる事が出来ません。担当者が変わると、市民も寄り付きません。市民が参加出来るような仕組みや企画をまず最低担保する必要があるでしょう。市民が誇りの持てる地域になるかどうか、そこが文化ホールと市民との関わりの軸ではないでしょうか。