2011年6月9日木曜日

私心的覚書/肩書

どうも、肩書って苦手だったりして、
肩書で人を判断しちゃう(されちゃう)事もあるのですが、
もっと広く言うと、
過去の経歴を書くのも苦手だったりして、
ほんで、今は?って事を上手く伝える事が難しい。
逆に言うと、ほんで、今はなにしてんの?って思ってしまう事もあるし、
肩書を外されると、何の人(自分も含め)か分からない事もある。

以前(もうかれこれ15年前のプラネットステーションで)、アートって何ですか?っていう問いに、
*観客がいる事
*ルールがある事
*集中している事
っていう事を言った方がいました。
今でもそのシーン覚えてます。
今でもお付き合いがあります。その時は"なるふぉど"と。
でも、それであれば、そば打ち名人がそうであればそれもアートか?と、そうだ。と。
じゃあアートって何だ?
横山やすしもそうだったのか。
って事は、変に肩書を持たずに(持たないようになれればね)、
皆その人(名前ね)になればいいじゃん、と。人はいろんな層がある。
今、肩書が名前の人って誰だろうなぁ。
そう思うと今ボクは(何の)何に集中してんだろ、と。

善し悪しではなく、肩書がその人、その社会の仕事しやすい環境を創る事であれば重要だし、
その人が"そこに居続けない事を前提に"、うまくその環境や社会の流れを創る上ではあって良いと思う。

とりあえず、動き続けるって事で、
新しい言葉に続いて、肩書って何だろうって事でした。

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カルチャーポケット寄稿/1999年8月から約5年半の間、
発行されたフリーペーパー【カルチャーポケット】。通称c/p。
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