2012年1月22日日曜日

私心的覚書/1/14はお通夜だったの de R

私心的覚書/1/14は高校時代の同窓会なの de R
でちょろっと書いたのですが、今の自分へのいましめの為に(そんな大げさではないけどね)、
同窓会に行こうと決めてました。
いましめといえば、
以前行った【創造人材育成ワークショップ・大阪2009「演出家の仕事」】のブログの中で、
カルチャーポケットに寄稿頂いた安田雅弘さんのコラムをupした事をふと思い出し、
タイトルは、演劇はお葬式に似ている 1 と2
詳しくは下記クリックください。
(個人的には、このコラムもかなり普遍的)
http://souzoujinzaiikusei-ws2009.blogspot.com/2009/12/blog-post.html

14日を向かえる前々日に義理祖母が亡くなった知らせが入り、14日がお通夜。
中学校同窓会<いましめ<高校同窓会<お葬式 と思いお通夜に行きました。

義理祖母とは2,3回あったきりでそんなに親交はなかったのですが、
お通夜に集まる義理祖母の子供(といっても60歳前後)らは、
顔やら声やら笑い方やらなんとなく似ている。
その家族の歴史はボクは計り知れないのでなんとも言えないのですが、
長い歴史をたどった後の1/14がどのような印象だったのだろうかと。

ちなみに、お通夜での(若ーい)住職のお経が、なんか妙にやっつけっぽくて、
ボクだけかなぁと思ってたら、親戚中が、「あのお経はアカン」ってやっぱ怒ってた。
各自、亡人との長い歴史(ボクはキュウリをもらった位)を思い出しつつ、
そぉっと一つの終わりを心に刻みつつ、の貴重な時間にしたかったのだろうしね。
そんなつもりでお経読んでいたのではないだろうし、そういうのって難しいなぁと思う。
泣きたい、悲しみたい訳でもなく、泣かしたい訳でもないだろうし、
変に抑揚つけたり、説教されてもヤダし。
また日々、様々な亡人と向き合う時間ってあまり無いので、こういう時こそ、
思い出す時間に出来たらいいなぁと思う。
まぁ、そんな頻繁に知人が亡くなる訳でもないので、
そこはやはり芸術に触れる機会を増やす事なんだろうと思う。